朝焼けに黄昏て

  • 2011.09.17 Saturday
  • 00:00

 日中はまだ、遠慮を知らない高気圧が我がもの顔でその存在を誇示している狭間の季節。



けれどもこの時間の。



幾分秋の気配を匂わせる、少しだけ凛とした、そんな空気の冷たさが、



仕事帰りの火照った体に心地よい、そう感じさせる今。



午前6時05分。



宮島街道沿 大手牛丼チェーン「Y」2号線五日市店の駐車場で、私は朝焼けの中にありながら黄昏ていた。



 



 



食に対して成熟した者と未成熟な者の間には決定的な思考の違いというものが存在する。



前者が内へと解を探求するのに対し、後者はそれを外へと求めるのだ。



これは作るもの、食べるもの、プロ、アマを問わず共通する点である。



どういうことか?分かり易く言えばこういうことだ。



例えば・・・そう、例えば・・・牛丼だ。




牛丼を作る、あるいは食べるとしよう。



美味い、のだが、これをより美味しくしよう、美味しく提供したい、頂きたいと考えたとき、



成熟せし者は、素材を見つめ直し、調理法を考察し、より牛丼の内面からポテンシャルを引き上げる方法を考える。



この牛肉に対する処理の仕方はこれでよいのか?いっそモノを変えてみようか?加熱時間は?



玉葱はこれで合っているのか?米は?その炊き方は?調味料のバランスは?食べ方は?タイミングは?・・・といった具合に。



目指すところはより完成された牛丼の創造であり、既存の牛丼を深く理解した上で見つめ直す思考。



食す側もまた、その内容を、歩みを、変化を、技術を、見落とすまいと己を磨く。



本質を追求し真理へと近づきたいとする願い、想い。



それが、内へと解を探求するということだ。




これに反して未熟なる者は解を外へと求める。



牛丼以外のもの、つまり第三者的食材なり調味料を用いて安易に味を変え、何かを創造したつもりになりたがる。



たしたがる、かけたがる、つけたがる、のせたがる。



その目的とは既存の牛丼の破壊であり、もはやその行いは牛丼に対する冒涜に他ならないというのに。



つまるところ、彼らが求めているのは美しい味などではない。



新しく、刺激的な、奇をてらっていればそうであるほど良しとする、刹那的な快楽に浸りたいだけだ。



手軽に得られる充実感、理解を求めぬ満足感。



先人の作り上げてきた食という文化に対して感謝と尊敬の念が無いからこそできる蛮行と言わざるをえないだろう。



君が嬉々として破壊しているそれも、君の見知らぬ誰かが創り上げてくれたからこそ、今ここにあるのだよ?



何を生みだすこともなく、ほんの一時注目され消費され、後には何も残らない。


破壊の先にあるのは新たなる次の破壊だけである。



なんと愚かな振る舞いだろうか・・・・。



 



 



カウンター席に腰を落としたはずの私を立ちくらみにも似た目眩が襲う。



落ち着け、大丈夫だ、ゆっくり息をしよう、大丈夫だから・・・。



自分を救い励ましながら、私は気持ちを落ち着かせつつ思考を整理する。




近頃の「Y」の挙動には一抹の不安を抱えていた、それは事実だ。



主力商品の廉価版である牛鍋丼の投入。



やっつけ感丸出しのレトルトカレーのメニュー入り。



大物タレントを起用したCMの大量投下、計画性の無い短期的値下げ。



が、まさか、いや、それは、そうなるだろう・・・。



「トッピング」



あぁ、そうなのか・・・。



とうとう、トッピングがスタートしたのだ。



メニューにはチーズだの葱卵だのといった見慣れぬ名前が並んでいる。



どこを意識しての改革かは考えずしても容易に判る。



私のごく近しい仲間内では、あんなものが流行るようでは世も末だと言われると同時に、



その衛生観念に対する疑問からここ数年連続で



「近々問題を起こすだろうオブザイヤー」を連続受賞しているにも関わらず、



業界首位を獲得した「S」に対抗しての経営戦略に違いない。



時代の流れと言ってしまえばそれまでのこと。



そう、それだけのことなのだ。



ニーズが、変わった、いや、



変わってしまったのは、この世界、そのものなのかもしれない。


どれだけの時間と議論と涙と怒りと悲しみを越えてこの決定はくだされたのか?



苦悩の末の決断を部外者が訳知り顔で非難などできようはずも無い。



そうさ、私に、そんな資格など、有りはしない・・・。



 



 



「牛丼、か・・・・。」



誰に向かって発するでもなく、



店を出た私の口から零れたその言葉は音も無く吹き抜けていった風に運ばれ消えていく。



空気は澄んでいる。



空は高い。



秋が来る。



もうすぐ秋が来るのだ。




「明日は、サンマを食べようか・・・うん・・それがいい・・・それは、いいな。」




そう、思った。

不適切な表現を含みます

  • 2011.09.20 Tuesday
  • 00:00

 「私は信じてないんだけど」と言いつつも、朝の情報番組の合間に流される、


なんら根拠のない占いの類をつい見てしまう国民性だ。


何かしら「あなたはこうです」とカテゴライズされなければ落ち着かないのだろうか?


「星座」しかり、「血液型」しかり、「草食系」だ「肉食系」だと・・・。


マルキ・ド・サドもレーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホも知らない、


口角辺りに滲み出る下心を必死で隠してるような安い男に、


「SかMかで言ったらどっち?」などというセクシャルハラスメントのお手本みたいな質問をされても、


「あたしドMなの♪」などと気軽に答えて不思議でない世の中になってしまった。


五反田あたりの女王様が聞いたらなんと思うのだろう?


天国の団先生ごめんなさい・・・。


 


・・・・・。


ドM・・・・。


ドMってなんだ?


ドMの、いや、ドSでもいいのだが、


ドMの「ド」ってなんだろう?


「でかい」を強調して「ドでかい」などと言う際と同じ冠頭詞でいいのだろうか?


まさか。


よもやまさか君達は、「ド級」の「ド」・・・。


「あたしってド級のMなの♪」


「マジで?!オレ、ドS!超ド級のSなんだよねー。相性いいかも?」


なんて言ってるつもりではあるまいな?!


 


 


1900年代初頭、イギリス海軍にこの人ありと謳われ、


後のハッシュハッシュクルーザー計画など奇抜な発想でも知られる


かの名将、ジョン・アーバスノット・フィッシャー提督指揮下の元、


世界の海戦事情を一変させることとなる一隻の船がポーツマス造船所にて誕生した。


その名は戦艦「ドレッドノート」。


全長160メートル 全幅25メートル 排水量20000トン超。


実に700名を越える乗組員によって操られるこの戦艦は


新開発された蒸気タービン機関による驚異的なスピードと、


斉射に主眼を置き一切の無駄を排して単一口径の連装式主砲5基に火力を集中させるという潔いまでの選択によって獲得した


長距離砲撃戦における圧倒的攻撃力と命中率により、それまでに存在した一切の現役戦艦達を


一気に旧式と言わしめるに十分な性能を有した、まさに化け物だ。


無敵である。


最強なのだ。



そう、


ド級の「ド」とは戦艦「ドレッドノート」の「ド」なのである。


この船の誕生以降、それ以前の戦艦は「前ド級」、


これと同等の性能を持ち、肩を並べるべく開発された船には「ド級」、


さらに後、


それを超える実力を兼ね備え、覇権を握るに相応しい存在の船には「超ド級」の呼び名が与えられた。


常識と価値観の破壊者にして新世界の旗手。


それが戦艦ドレッドノートなのだ。


 


 


さて、


言葉足りない君たちの会話をお節介ながらも私が補完してさし上げますと、


「あたし歴史を塗り替えた戦艦ドレッドノート級の、それ以前のMなんてMですらないと言わしめるほどのMなの♪」


「マジで!?オレ、ドレッドノートさえも越えし存在、例えばそう、大艦巨砲主義の進化系にして集大成、戦艦大和クラスのSなんだよね。」


と、なるわけだが・・・・。



航空母艦と戦艦の違いさえ判らんような、


よくても「え?イージス艦って船の名前じゃないの?」とか言っちゃいそうな連中が、


私は戦艦ドレッドノート級のMです、だと?


戦艦ドレッドノートみたいなMってどんなだよ!?


そりゃぁさぞかし打たれ強いでしょうけどさ、世界の常識を覆す程のマゾだと?


何だかよく判らんがスゲーなオイ!強ぇーよ、Mなのに逆に強ぇーよ!


「無敵のM」ってなんだよ!!?びくともしないのか!リアクション無しか?ダメだろ!それじゃっ!


おまけにそれを超えるSだと?!


「大和」なのか?!


お前は「ヤマト」なのか!?


「・・・何もかも皆イジメめたい・・・。」ですか?艦長さん?


それとも「ボクの波動砲が!」ですか?!


「やめて!古代くん!!」


「連れてってやるよ!イスカンダルにっ!」


下ネタじゃねーかっ!!


ふざけんな!


どうしたっ!オレっ!


なんだっ!?オレかっ!?オレ位のクラスになると「S」だの「M」だの!


そんなありきたりなマニュアル通りのカテゴリーには属さないんだよ!


スゲーんだ!


すっげーんだからな!


すごい・・・・。


すごく・・・・。


・・・普通です・・・・。

メランコリーコメンタリー

  • 2011.09.22 Thursday
  • 00:00

 週末は嵐。


そんな招かれざるルーティンにも、いささか慣れてしまった感のあるこの九月でした。


お陰で夜長月の名に相応しいほどには月明かりに見惚れる夜も少なかったけれど、


今夜、窓を鳴らしているこの風が通り過ぎてしまえば、


いよいよ今年の夏も終わってしまう・・・。


そう思えば不思議と寂しい気がしてきます。


秋が好きです。


空の天井のあの青を美しいままに届けてくれる透明な空気。


乾いた水の中に居るような静けさ。


全てに満ちる淋しさの匂い。


鮮やかに褪せてゆく景色。


それらが僕に見せる、忘れたい記憶とすがりたい想い出に戸惑いながら、


切なくて、寂しいのに、どこか優しい気持ちになれる季節。


きっと、秋を染める琥珀の中にも、グラスの中のそれと同じように、


人の心の、本人さえも曖昧になっているような、脆くて大切なところに、


とても静かに、とても優しく、染み込む何かがあるのでしょう。


今夜はまだ来ぬ季節に焦らされながら、


秋色のボトルから注がれた琥珀の波たゆたうグラスを眺めてみるのはいかがでしょう?


今宵もまた、カウンターでお待ちしております。


 


 



みたいな事だけ書いて、はい素敵なBarのブログでござい、とかやっといたほうがいいのかなー?


そんな店、自分ならあんまり行きたくないけどなー。


胡散臭すぎて。


実体験から言ってもそういう上辺だけ取り繕ってる感の強いお店とか、そのホームページとか、


本当に行ってみてもなんじゃこりゃって率が高いしなー。


ここまで情報化が進んで全てが明け透けになってるご時世に、


「当店は古き良き時代の・・・」とか、いや、いいと思うんですけどね、そりゃそうなんですが、


バランスってあるじゃないですか?


とか何とか以前にそういうマスターに限ってとんでもなく基礎知識とか本質的なもんが欠落してたりするんだよなー。


それでなくとも、きっとゲーテもアポリネールもランボオも、この時代に生きててあんなこと言ってたら、


ちょっと痛くて恥ずかしい人になってたでしょう?と思うのは私がひねくれているだけなのかなー?


阿久先生の時代ですら「男がピカピカのキザで居られた」時代は終わったとおっしゃってたのに。


あとBarの素敵ってちょっとそういうのとは少し色が違うんじゃないかと私的には思うんですよねー。


あとBarの素敵ってちょっとそういうのとは少し色が違うんじゃないかと私的には思うんですよねー。


大事なことなので二回言ってみたりしつつ。


でもなー、実際なー、嘘みたいな嘘ついてる店って嘘みたいに大衆のウケが良かったりするからなー。


ウェブやクーポンサイトやフリーペーパーで素敵を探して、素敵なお店で素敵に写メ撮って素敵ブログにアップする時代だもんなー。


ちゃんと、素敵なお店〜。素敵なマスタ〜、とか言われてるもんなぁ〜。


しかしなー、Barってのはお客さんこそが素敵になるとこで、そもそもそんな過ごし方が素敵か?って言うか、


そもそもそんな過ごし方が・・・・


だいたい店やマスターは引き立て役にあるべきでですなぁ・・・。


でも、それは、まぁ・・・いいな〜。


褒められたいよなぁー。


そりゃ素敵とか言われて悪い気はしないよなー。


それで私もこういうこと書かなきゃいいんだろうなー、きっと。


結局それだよなー。


判っちゃいるんだけどなー。


あといい加減このホームページの脈絡の無い荒れまくり文章も統一性を持たせないとなー。


方向性が定まらないと言うより、本当、あれも私、これも私、それも私、全部私なんだよなー。


ボ、ボクの中の、き、来た、ヤツが、別の、ボクが・・出てこようとし・・・お、押さえ・・・きれない・・・って中二かよ。


それでも一貫性はあったほうがいいんだろうなー。


そう言えばこの夏は鱧たべてないなー。


ことの真相はどうでもいいんだけどなー、


ポロシャツのエリを立てるのは某大学のラグビー部の後輩に対するイジメから始まったっていう話を聞いてからなー、


街でそれを見るたびに「あぁ可哀相に、この人無理やり先輩にエリ立てられてるんだ」って妄想が止まらないんですよねー。


美味いコーヒー飲みたいなー。


あーその前にボチボチ更新頻度へらすかなー。


そう毎日見てる人もいないだろーし、なんか気持ち悪がられそうだもんなー。


迷子だなー。

ゆとり時代

  • 2011.09.24 Saturday
  • 00:00

 えー、バーテンダーとかけまして、流星群と解く、


その心は、どちらも振り(降り)そそぎます。



えー、免許の更新に行くわけですな。


するってぇと違反者だろうが優良ドライバーだろうが、


受ける時間の差はあれど講習なんてものを受ける。


その際に教本なんてぇもんが配られる。


道路交通法があぁだこうだとしたためられてるやつですな。


ありゃあ地方ごとに中身が違ってたりするもんなんですかねぇ?


ま、詳しいところは存じあげねぇわけですがね、


あっしも頂戴いたしましたこの本をペラペラ〜っとめくりやす。


と、どうにも気になることが出てきちまうんですな。



小難しい決まりごとやのっぴきならねぇ諸問題をページの端々で解説してくれる


奇特なお方が書きしたためられてる。


これが「ちびまる子ちゃん」てぇ娘さんでさぁ。


はぁ・・・。


ご存知でやんすか?ちびまる子ちゃん。


まぁまぁ、そりゃーてーした人気もんなんでやんすがね。


東西とーざい、ちびまる子ちゃんの交通教室でございってなもんですわ。



あのね、旦那。


忙しい中時間をさいて駆けつけたいい歳の大人達をつかまえて、


ちびまる子ちゃんとお勉強でもねぇでしょう?


へたすりゃ人の生き死にに関わることを、


明るくポップにスタデーですかい?


まぁ、興味を持ってもらおうだ、親しみやすくしようだ、


ちっと考えりゃありがちな言い訳は思いつきますがよ、


免許の更新でやんすよ?


免許の更新。


対象年齢はいくつのつもりなんでしょうかねぇ。


それともこれが時代のニーズってやつなんですかねぇ?


いやぁ、これが免許センターさんの独断だとすりゃぁ嘘みたいなセンスですなぁ。


と、免許だけに、これが本当のライ・センス、なんて申しまして。



お後がよろしいようで。


 


 


 


 

見えない力を見せる力と見抜く力

  • 2011.09.25 Sunday
  • 00:00

 世界の全てがバズワードでできている、というほど極端な暴論を展開するつもりは無い。


にしても、現実、中身や内容や本質といったものよりも、


判り易さとイメージと印象の方が、はるかに重要視され、


いや、さして重要であると身構えもせず「視」をしないからこそ「考」も無いということか・・・・。


活字を前に想像のできない、絵本の世界に生きる大人たちが、この先どんな未来を造ってゆくのだろう。


 



言ってもさすがは流川。


週末あたり、夕方のコンビニではちょっと特殊な光景に出くわすこともある。


先週末も、スーツを着た会社員十数名が、申し合わせたように店先で、


まるで何かの儀式よろしく天を仰ぐようにウコンの〇を飲んでいた。


スゲーなおい、ウコンの〇。


近々アメリカでも発売されるようだが、いつから人類はそこまでアルコールに対して警戒心を抱くようになったのだろう?


まぁ、そこは今回の問題ではないか。



ウコンに関しては民間伝承レベルで体にいいらしいという曖昧な効能がフワッと認知されているのみで、


確かにマウスを用いた実験においては肝機能向上という一定の結果も得られてはいるが、


実際これを上回る結果として過剰摂取により肝機能障害をもたらすことが明らかにされている。


人間の臨床試験は明確な効果とみなされる結果が得られるほどに実施されていないし、


体に影響が現れるほどの摂取によって引き起こされた症状に関する例は、


やはりマイナスに働くという報告のほうが多いくらいだ。

いっぱい摂取しちゃダメだけど少しなら体にいい?

いいえ、その程度じゃ意味が無いということが重要。


つまり、何かしら肝臓に影響する成分を有しているという唯一の事実があるのみで、


それは確かだ、それは確かなのだが、


人体に影響を及ぼすほどの成分量を含まなければ全くもって安全だが同時に毒にも薬にもならないもの、


何かしらの効果など期待できない代物、というのが現段階の結論である。


無論、微量の摂取によって発揮される即効性など、私がエグザイルのオーディションに合格する可能性ほども期待できない。

そもそもこれがアルコール分解にどう影響するかなんてことは全くもって未知数なのだ。


そんなもの売れるはずが無い。


なのに売れてるんだから、


いや、売ってるんだから凄い。


それも完璧なる印象操作と偽りの無い記述の両立を果たしつつ。


現に商品そのものを見ても、ホームページを調べても、これが具体的に何かに作用する効果を謳う文言は一言一句見当たらない。

印象は良いが具体性の無い抽象的表現に終始している。

すっきりって何がどう作用して何がすっきりするんだ?

健康って何をもってして健康であると判断するんだ?

それは言えません。


当たり前だ。


商品展開するとなれば反応が出るほどの成分を含ませるわけにはいかないし、


これに何かしらの効果を明言してしまえば薬事法にも抵触してしまう恐れがある。


映像も文章も、あくまで直接的な表現を避けつつも、


まるで絶大な効果があるかのような印象を持たせるこのさじ加減。


そしてなにより最も驚愕すべきは酒とか二日酔いとかそういう言葉を一切使用していないにもかかわらず、

現に皆が皆それに対する効果を一番の目的としている事実にある。


スゲー。


洗脳さえ完了すれば後は簡単。

商品さえ手にしてもらえればいわゆるプラシーボ効果で、


「やっぱ効くねー」と勝手に言ってくれるのだろう。


これだけ完璧な準備ができていれば、なるほど訴訟大国アメリカにも商品展開できるであろう。


効果が無かったと訴えられても、


「は?なに言ってんの?オレそんなこと一言も言ってねーよ、バーカ」と笑ってやれる。


ビジネスとはこういうことを言うのだろうな、きっと。


しかし、リサーチ済ではあろうが、アメリカ人にも需要があるのか?コレ。


 


今日もまた、この街ではいったい何本のウコンの〇が消費されるのだろうか?


かくして経済は周る。


時代も周る。


地球も周る。


ぐるぐるぐるぐる。


バターになっちゃうよ。



最後にバーテンダーとして一言。


二日酔い防止に効く薬は理性以外にございません。


でもまぁ、二日酔いまでネタにできる素敵な酒飲みに憧れますけどね、私は。


体は壊しちゃだめよ。

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