「野天湯へGO!」は温泉好きをこじらせた挙句行き着くところに到達してしまったOL温泉愛好家「山田べにこ」が全国の野天湯を訪ねて紹介する旅チャンネルの番組である。
キャッチコピーにある通り「屋外にある野趣溢れる温泉を求める」ことがそのコンセプトなのだが、
屋外とは名ばかりのそこは地の果て、
詳しくは後述するが、問題はその野趣が溢れ過ぎぃーなのを求め過ぎぃーな内容をして類似の旅レポ番組とは一線を画した稀有な存在となっている。
2011年にはすでに終了しており全て挙げてもわずかに26回で完結してしまった、言わば過去の作品ではあるが、
一回30分という短さと、あるいはそもそもが低予算で製作されたがゆえに権利料が安いためなのか、
穴埋め的な扱い、例えばスポーツ中継が早期に終了した場合などに地上波においてもしばしば再放送されることがある。
広島では今現在、日本テレビ系列の「広テレ」で毎週火曜日の早朝午前4時50分から放送されている。
ありがたい。
私はこの番組が好きすぎて生きるのが辛いファンの一人である。
温泉が嫌いと言うよりも過剰なまでに硫黄が苦手で、
温泉場近くに連行されれば赤子の手でも簡単に捻り上げられそうなほど衰弱してしまう、
元来温泉なんて1ミリも興味が無いはずのこの私がだ。
番組の魅力、それはひとえに「山田べにこ」の魅力、それそのものであると言っても過言ではない。
しかしまず断っておきたいのは、女性レポーターによる温泉レポートと聞けば誰もが想うであろう、お色気的要素が目的などでは決して無いということだ。
確かに「山田べにこ」は大変に魅力的な女性ではあるのだが、
ことこの番組に関してはそのような期待を抱き、かのような目線で視聴する者を、私は軽蔑する。
彼女の人となりを端的に説明した文としては「ウィキペディア」にあるそれが秀逸だ。
引用すれば「挙動不審といっていいレベルの腰の低さと丁寧な言葉遣いが特徴」とある。
たとえ圧力鍋に閉じ込めたとしてもあふれ出してしまうであろう人柄の善さと育ちの良さがとどまるところを知らずにダダ漏れっぱなしのその様は、
大和撫子なる理想を現代社会の枠の中で無理も違和感もなく再現した上に、
ユニークかつユーモアに満ちた愛嬌と所作まで兼ね備えたような素晴らしい女性である。
素朴にして純粋にして清楚なればこそ、そんな彼女をいやらしい目で見ることなど決して許されない。
温泉が好き、の一点に関してもすこぶる真面目であり真剣で、
そこいらの女子力ウンヌンぬかしながら癒しだぁー美容だぁーと湯遊びをしている連中と一緒にしてはならない。
だがしかしあえて言おう、彼女の好きはもはやフェチを超え変態の領域に足を踏み込んでいる、と。
道すがら、温泉に近づいたことを空気や地形、鉱石の変化で見抜いて感じ取り、ペーハーを計り温度を計り、
ちょっとなに言ってるかよくわからない専門用語を口走りながら視聴者を置いてけぼりのまま異次元レベルの精神状態にギアを入れてはしゃぐ彼女からは狂気すら感じる。
そんな彼女のワンマン劇場が演出としては功をそうしているがゆえに非常に高尚な優良エンターティメント作品にまで昇華された番組の中身を、まずは順を追って説明してみよう。
構成自体は毎回ほぼ変わらない。
恒例になっている装備の説明を番組冒頭に行い、
前半パートでは虚弱体質の病人でも湯治目的のためにスキップで行けそうな近場の温泉地とその周辺、いわゆる温泉街のレポートに終始する。
そして後半、いよいよ「野天湯」を目指した冒険が始まる。
そのロケ地・目的地がその都度変わるだけなのだが、
お気づきだろうか?
すでにいくつか温泉番組に似つかわしくない単語が登場したことに。
装備。
毎回のことだが、腕に巻かれたGPS・熊よけの鈴と撃退用スプレー・万が一遭難した際のための簡易キャンプセットを含んだ総重量10キロを超える装備品は基本とする荷物であって、
彼女にとっては外出時にポケットの中にハンカチを収めるかのごとき当たり前の準備なのである。
その最終目的地たる「野天湯」は往々にして険しいにもほどがある山の奥深くにあるため、ほぼ毎回、基本は登山となる。
入山のギリギリ、侵入可能な所までは車で移動。
もちろんその運転も彼女自身が行うのだが、ハンドルの持ち手はしっかり10時10分。
そういうところからも彼女の真面目さがうかがい知れる。
いよいよ山に入れば熊がどうのがダテではなかったとすぐさま理解することになるだろう。
往年の川口弘でも割に合わないとギャラ交渉に不満を漏らす勢いの、もはや道でもなければ山でもない、
マタンゴ摘みのついでにツチノコを散歩させている原人バーゴンといつひょっこり遭遇してもおかしくないような、
ロールプレイングゲームなら決して操作キャラを進められそうもない背景みたいなところをひたすら突き進む。
時には崖を、川を、滝さえも越えて突き進んでいる彼女の方こそがむしろ逆にバグなのではなかろうか?
しかし番組の構成上3時間、4時間とかけた道中をテロップ一つで片づけられて、
そうしてようやくたどり着いた先にあるゴールは、贔屓目に見ても決して風呂などとは認知できない、
いやさ風呂の概念を根底から覆し、そしてあらためて風呂とは何か?その定義と観念を我々に問いかけるかのごとき地獄のような光景が待ちかまえていることが決して珍しくないのだ。
これが温泉宿に隣接した露天風呂だったとして、十人が案内されれば十五人がクレームをつけるであろうトンデモ温泉。
せいぜいくるぶしまでを入れるのがやっと程度の、良く言えば源泉だがともすれば温かいだけの水たまり。
綺麗にする、といった入浴の一つの意義をあえて全力で放棄したかのような産業廃棄物にしか見えない汚れきった放置バスタブ。
あるいはもう入るなんて行動をとる空間すら存在しない場所では自ら石を積んで座り、体表の二割でも濡れさえすればそれで強引に入浴としてしまうことさえある。
初見では「あれ?ひょっとして失敗?ギャグ回?え?冗談?意味がわからない…」と不安にもなるだろう。
しかしこの番組においては、
彼女にとっては、
これで正解なのである。
それは彼女のはしゃぎっぷりを見ればよくわかる。
バスタオル一枚巻いて泥水に寝そべるなんて、通りすがりのPTAにでも目撃されたら重大なイジメ問題が発覚したと大騒ぎになりそうな凌辱プレイも彼女自身が望んだことでありこれこそが目的なのだ。
眩いばかりに輝きながら歓喜する彼女を眺めているとあらゆる疑問は消し飛んでしまう。
当の本人がここまで求め、あれだけ努力し、やっとたどり着き、そしてなにより納得して心から喜んでいるのだ。
だったらそれはもう風呂であり温泉なのだ。
夢中になること、素直に喜ぶこと、飾りなく楽しむこと、
ただそれだけのことがあらためてこんなにも素敵で素晴らしく美しいことだったと気付かせてくれたならありがとうの言葉しか見当たらない。
そんな彼女を眺めながら私はほんの束の間、
大好物を目の前にコロコロと笑いながらよく食べる女の子と一緒に楽しくデートをしているかのような、
そんな幸福感に包まれる。
残念ながら彼女はすでに引退してしまっている。
結婚し、今は一児の母として、一切の活動を休止し、ブログも閉鎖されてしまった。
一部のウワサではネットの毒にあてられて嫌気がさし、平穏を求めての決断とも言われているので、卑屈で矮小なる私ごとき愚者にこうして書き起こされることすら迷惑なのかもしれないが、
書き連ねておいておこがましいながらもあえて言わせてもらえれば、もしそれが本当だとして、それならそれで正しい選択だとも想う。
そうして俗世とは距離を置き、できればなるべく穢れなきまま平和の中で過ごしていただきたい。
美し過ぎる貴女様の心に、この浮世の在り様はあまりにも醜悪だ。
いつまでも健やかに在らんことをただただ祈るばかりではあるのだがしかし、
番組が今も放送されていて、いずれそれも終わりを迎えるかもしれないならばこそ、
これだけは言っておきたい。
コンプリートボックスとか出してもらえませんでしょうか?
できれば未公開シーンも含めたディレクターズカット版とかで。
オレ、絶対、買いますから。