「週刊文春」2010年1月14日号にてコラムニスト・堀井憲一郎氏により執筆された記事と、
これを題材により深く調査・探求、さらには各関係者へのインタビューまで敢行し放送された
「NHK・みんなでニホンGO 第9回放送分」によると、
寿司を「貫(カン)」と数えるようになったのは、
1991年5月「正統派やさしいお寿司屋さん76軒大情報」と銘打った雑誌「Hanako」が発売され、
その中で「寿司の正しい数え方は貫である」と提唱されてからだそうだ。
え?貫は昔の貨幣単位でこれに由来してるのでは?とか、
昔の寿司は今より大きくて、これを二つに切って提供するようになったけど元々の重さが昔の一貫銭と同じだから、
実のところ正式には寿司二個で一貫と言うのが正しいのでは?とか、
一巻が一貫に変化してウンヌンとか・・・。
実際、今現在においても関連本に目を通そうが、ネットで検索しようがそういったいかにもな回答しか出てこないが、
そのどれもこれもが、まず「貫」ありきで考え出された後付の空想、または妄想というのが真実である。
悪意はないのだろうが捏造と言ってもいいだろう
早い話が嘘なのだ。
事実、当時の「Hanako」の編集長も冒頭で紹介した番組内にて、
裏付も検証もせぬまま、ある一冊の本を参考に記事を完成させたことを認めていたし、
その資料として使われた、日本で最初に「貫」を提唱した食文化に関する専門書を執筆した某先生も、
やはり同番組にてインタビューに答え、「あれ適当でした」と非を認めている。
某先生曰く、ごく一部の江戸前寿司にて使用されていた「五カンのチャンチキ」なる符丁と、
戦後、これまたごく一部で始まった寿司二個で1セットとする「二丁付け」という提供システムにヒントを得て、
本来寿司二個一貫説を想像・創作したのだそうだ。
ちなみに「五カンのチャンチキ」とは握り寿司五つと二つに切った細巻き一本分を一人前とする、
いわゆる「セット」を表す業界用語で、切った細巻きをチャンチキ(太鼓のバチ)に見立て、
「カン」は語感重視でそれを鳴らした音からきているとする説が有力だが、それも定かではない。
「二丁付け」は単純に作業効率の向上と売上アップ、計算の単純化を目的に始められたことだ。
まるですでに昔から「貫」を使用していたのが当たり前のような世界に変わってしまった現代だが、
その歴史は非常に浅く、そもそもが嘘なのだからやりきれない。
しかも寿司なんて握ったことも無い部外者によって業界の常識が塗り替えられてしまったのだから驚きだ。
なにかもう逆に、先の編集長あたりはアフターで連れ出したホステスさんとザギンでシースーつまみながら、
「なぜ日本人どもは寿司を貫と数えるか知ってるか?オレ様が言わしたからよ!ヒャッハー!!」
とか言っててくれたほうがいっそ清々しく思えてくる。
まぁ、いずれにせよ情報なんてものはおおむねこんなものかもしれない。
触れただけ、眺めただけでは真実は見えてこないどころか、下手をすれば踊らされた挙句に洗脳されかねないわけだ。
探索し、発見し、検証し、考察ののち選択して吸収する、それで初めて情報は知恵になる。
眺めた分だけ偉くなるなら世界は偉人で溢れてしまう。
あぁ、そういえば私はバーテンダーだったのでそれらしい話もしておこう。
Barにまつわるウンヌンについても、時々とんでもない情報を吹き込まれてしまったお客さんてのがいらっしゃったりする。
これでも一応サービスマンなのでそこをつついて恥をかかせてしまうような野暮はしないが、
あまりにもあんまりな情報だったりする時は、「それどこで聞かれたんですか?」などとやんわり聞いてみたりする。
だいたいにして発信源はどっかの店のバーテンダー様だったりするのがオチなのだが・・・。
プロが嘘を言っちゃいかんでしょう。
こちらとて間違いやすいあんなこととか、諸説あるこんなとこってのを重箱の隅をつついたうえにあげ足取ろうとまでは思ってないが、
どんな画素数だよ?とツッコミたくなるようなハッキリクッキリした嘘を言っちゃあ、そりゃあ駄目だ。
困ったことにだいたいこういうスゲーこと言えるお人ってのは他意の無いド天然だったりするから余計にタチが悪かったりする。
あるいは民明書房でも愛読しているのか・・・いや、ともかくだ、
嘘でお金を頂戴するのは泥棒のすることです。
バーテンダーのするこっちゃございません。
私は自らの戒めとして「自分を疑え」という言葉を大切にしているのだが、
情報を疑え、人を疑えってのもなかなか気のいい話ではないので、それを信じてよいものか、まずは自分に問う姿勢ってのは忘れちゃいけない気がします。