一通行人が道を歩いてて看板見つけて店に入ってお客様。
私とて道を歩けばただの人、そんな普通の行動をもって客と呼ばれる立場になることもある。
いや、いつ何時であっても私はただの一般人ですけどね、当たり前に。
しかし、看板一つに別の意味の情報と、さらにその裏に隠されたドラマが見えたり見えなかったり。
業界目線というか、判断基準というか、のお話。
近所に新しいラーメン屋さんが開店されたと聞き、
さっそく行ってみようかと店の前まで行くものの、入店はしませんでした。
理由は車道とビル入り口まで侵食しておもいっきり立て看板とノボリを立てていたから。
立て看板とかノボリとか、それ自体が悪いとは言いません。
しかし、「あからさまにコレは、どう考えたってコレは、ご近所さんにも迷惑じゃなかろうか?」とするような、
特に雑居ビルに店を構え、路上と言わず他店様と同じくして使うビル内の共有スペースに、
我が物顔で看板なり、荷物とかゴミとかチャリとかも含め言い出したらキリが無いが、要はまとめて私物を置くような店というのは、経験上とんでもない人物が経営していることが多い、
と言うより間違いなくそう。
確定。
鉄板。
そんな店には近寄りたくもありません。
触らぬ神になんとやら。
勘というほど曖昧なものでもなく、
私でなくとも同業者ならば日常ごとの経験より導きだされ、鍛えられたある種の処世術と言っても良いでしょう。
え?あの人のよさそうなご主人が?評判の店が?
はい。怖いですね、ホント。
何もかもが一概によろしくないとは言わない。
ただ常識の範囲ってもんがある、そこは勘違いなさらぬように。
酷いケース。
でも割りによく見かける。
時には道を塞ぎ、時にはビルの入り口を塞ぎ、通路だろうがエレベーターホールだろうが、
人様の店の前だろうがなんだろうが物を置く。
縄張り意識の強い発情期むかえたオス猫のマーキングだって、もうちと遠慮を知っている。
で、そもそもビル側としてはそのような行為は認めてないはず。
中にはこれを逆手にとって「看板出したきゃ金を出せ」なんて安達祐実もドン引きしそうなツワモノもおりますが。
歩いてても見える、特に路上看板なんてそりゃ誰でも出したいですよ、でもね、あのね、異国の青空市場じゃないんだよ?
仮に5階建て10店舗入居のビルで全店看板出せば、そりゃねぇ。
これを街中で我先にと皆が皆そんなことすりゃどんなことになるかは判るでしょ?
歩道を潰す規格外の看板なんて論外。
屋内だってね、店の外まで物を置けちゃ収納スペース無限大でよろしかろうが、いったいどこまでが店内なんだ?
窓やら通路を塞ぐのはもはや犯罪行為に等しいが、気遣いとか美観とかって概念は?
でも、やったモン勝ちの状態なのが現実。
正直で誠実で穏やかで優しい人こそがバカを見る世を正さんと行政も動き、
とうとう流川界隈では条例まで施行され取り締まり強化が、と言っても実質無法地帯なのはご覧の通り。
ビルの中は私有地なので口出しできようはずも無い、が、それに関しては例の歌舞伎町のビル火災以来、
消防署が抜き打ち指導を行うようになった、とは言え効果の持続性はよくて2日といった程度。
そんなことしなくても良識ある方はもちろん自重します。
てかさ、もうさ、んなもん法に頼らなくちゃいけないことでもなかろうに。
それでもなんとかしたけりゃお互いきちんとルールを決めて、迷惑にならないよう行動する、って、当たり前すぎてなんだか虚しくなってきた・・・。
と、ここまでは共感される方がおられてもおかしくない話。
私も嫌!道路に邪魔な看板出してるお店!、なんなの!行きたいお店の通路に邪魔な物置いてる店!てな具合に。
で、ここからはそれが例えばお住まいの、家の近所でもなんでも、実際そういったトラブルを経験した当事者なら非常に共感できるが、
逆にそのような惨事に遭遇していない他者からは想像し難い現実であり重要な問題。
その手のお店というのは100%ご近所さんから苦情、と言っても下から、丁寧に、お願いと言うかご相談と言うか、
そりゃもうお代官様に陳情を読んで頂くかのごとき気の使いようを持ってして、
お話しを、要望を、改善要請を、受けてるはずなんです。
100%話を聞かず、どころか100%ブチギレてくださった結果こそが、目の前の物的証拠が示す真実なんですね。
「すみませ〜ん」と声をかけ、「は〜い」と穏やかに返事をしていただき、
「あの〜、お宅様のコレなんですが・・・」とキーワードが出たその瞬間の変わり身の早さ。
豹変という言葉を体感したい方は一度経験してみます?
「キレる」なんて表現が「ワタシお役に立ちそうも無いのでお先に失礼します」と遠慮して帰っちゃうぐらいにキレ過ぎていただけますよ。
小学生並の屁理屈を並べ立てながら、逆にこっちがその人の愛する何かを奪っちゃったとんでもない悪者みたいな展開。
この辺の名言集は第三者的立場で傍観すると馬鹿馬鹿し過ぎてネタ的要素も強いのですが当人にとっては堪ったもんじゃない。
さらにその日から始まる地獄の日々が、正義の立場にあるはずの人を襲う負の連鎖。
ここが大事。
これこそ大問題。
ヘタすれば毎日顔を会わせるフォースの暗黒面に染められし住人から浴びせられる冷たい目線、妙なプレッシャー、最悪イチャモン、嫌がらせ。
確実。
絶対。
簡単に日々とか言っちゃいましたが、ずっとですよ。
ずっと、ずっとね、こんなふうに、してね、ですよ。
嫌だよ。
悪いのはあちらなのに事態が改善されるどころか泣き寝入りの上からさらに浴びせられる無常な仕打ちと襲いかかる後悔の念が終わることなき日常に組み込まれる恐怖。
そもそも、そもそも、そもそも、根本的にそんなヤツだから、そんなことができてたんです、判っちゃいたはずなんです。
逆に彼らは悪事との自覚があるからこそ、相談も無く独断で行動できる判断力と実行力を発揮したからこそのこの結果。
ま、大体の場合さしたる思考も介在しない純粋悪ですが。
一連の彼奴めの行動はある意味、「私はそんなことが出来る!そんな人間だ!フハハハハ!」というアピールでありサインに他ならなかったのです。
でも信じたかったんだよね?話せば判ってもらえるかもって、希望を捨てたくなかったんだよね?
人を・・・諦めたく・・・なかった・・・。
この腐敗した世界に負けた、そんなアナタが鬼束ちひろのファンになったとて誰が責められますでしょうか。
てなわけで、そんな常識も無い店なので入らずとも仕事の内容はおのずと知れてますし、
視点を変えれば、そういう店の判断材料になり、入る前にイラッとするだけで事済みます。
この店に泣かされてる住人がいることを想うといたたまれませんが、どうすることもできません。
私にできるのは、せめて入店拒否という行動をもって、無言の意思表示をすることぐらいです。
無力。
それとは別に時々、住人という住人、皆が皆、カーズ様ばりに「考えるのを止めた」人達で構成されたビルの入り口が、
自分達の出した看板で自らの店へと続く入り口を塞いでいるのを見たりすると、なにかこう「蜘蛛の糸」とか思い出しますな。
このケースに該当するビルの治安は、意外と平和に共存してるか、往年の中東情勢並みの緊張状態かの二極だったりします。
どうでもいいけど。
どのみち個人的には単に不愉快なので行きません。
そんな店、こんな店でも客前では異常に愛想が良かったり、意外と人気店が多いのは、まぁ、商売上手ではあるのでしょうね。
一利用者として行って飲み食いして帰るだけなら確かに問題は無いのかも。
私が敬遠する理由は個人的な心情と経験によるところが大きいのは確かです。
ただ、一つご忠告させていただくと、かのような店で、完全に店側の落ち度による失態であったにせよ、
文句だクレームだを言うことはお勧めしません。
彼らは自身の店に対し好意的な者、金だけ払って大人しく帰ってくれる者には優しくも接してくれますが、
それがどんなに些細な、例えばオーダーを抜かされ「スミマセンこっちまだ来てないんですけど」みたいな小さきことでも、
店に対して意見する者は瞬間、敵とみなされ、条件反射的にとても不愉快な対応をされる場合が多々あります。
根本的に仕事に対する目的意識と存在意義、属性が違うんですから。
これに対しさらに文句を言ったり、露骨に不快であるとの態度を見せた場合には、謝罪どころか、
最悪の場合アナタこそが悪者ではないかと問われ、自らの立場を悪くされる場合が往々にしてあります。
得意技・逆ギレ。
ただでさえする必要の無い不愉快な想いを雪だるま式に大きくするだけ。
理屈じゃないんです。
負けるが勝ちです、諦めましょう。
この理論、飲食店に限らずあらゆる業種のそれにけっこう当てはまります。
郊外に店舗を構えるナニガシ様でも、敷地外や公道、果てはガードレールだ電柱だと公共物に看板くくりつけてるようなそれは要注意。
こんなことできるってことはどうゆう倫理観で生きてる人達によって運営されているか?ちょっと考えてみる。
そういう視点と公式を参考に、皆様にあられましては快適で平和な生活を送られますよう、切に願います。
商売を戦いとすれば争いにもなり、生き方とすれば手も取り合える。それらしいこと言うてシメときます。