マニュアルってのはそれを頼るような人しか見ないのだから内容が破綻していても存外まかり通る、という事実
- 2012.04.01 Sunday
- 00:00
それって普通に「コース料理」とか「日替わりメニュー」って言うんじゃ・・・。
・・・・。
その昔「ホットドッグ・プレス」なんて雑誌があってだな・・・。
それって普通に「コース料理」とか「日替わりメニュー」って言うんじゃ・・・。
・・・・。
その昔「ホットドッグ・プレス」なんて雑誌があってだな・・・。
対外的なアピール活動なので、むしろ地元だからこそ知らないという人が多いかもしれませんが、
現在の広島の観光活動におけるキャッチフレーズは、
「おしい、広島」
http://www.oc-h.jp/
自虐的なようで相当自信が無いと言えない言葉が、
ようやく「あれ?」と気付きかけながら、
「ほいでもスゴかろぉ〜、なんせ広島なんじゃけぇ」的な、
変わろうとする意識の無さの表れのようで残念、
なところがいかにも広島的、と思ったのは私だけ?
「行ってきたけど本当におしかった」と言われないことを願うのみ。
断っておきますが地元ですし私も好きですよ、広島。
ただ、郷土愛なんて枠を超えて、分不相応なまでに自意識を肥大させ、根拠のない自信を育む特異な土壌であるのも確か。
一度外に出てみるとよく分かる、ってことは出ない限りは分からない、という、ね。
私に独裁が許されるなら他の主要都市への強制留学制度とか実践したい。
実際私もそれで気付いたクチだから。
ふわりワイドショーを眺めていたら、ある芸人さんの親族が亡くなられ葬儀がありました、
というニュースをやっていて、多くの芸能関係者も参列している中、
「パラグライダー!!」の人が「ボタン・ダウン・シャツ」なんて着てるもんだから、
「おい、誰か言ってやれよ?!」と、思わず声に出しちゃったんだけども、え?どうなの?コレ。
そういう場の話しだけに全く茶化す気など無いのですが、ここから気になってしまいよく見れば、
そういう場だからこそ「オマエ・・・」って格好してる方がチラホラで、ちょっとその、ねぇ・・・。
ピンとこない方のために分かりやすく言うと、知ってる方から言わせれば葬式の「ボタン・ダウン」て結納で「ダメージ・ジーンズを腰履き」してるようなものなんです。
「ボタンダウン・シャツ」
元は英国のポロの競技中、選手の襟がはためいてしまうのを抑制できないかというアイデアを、
米国のブルックスブラザーズ社がYシャツに取り入れ販売した「ポロ・カラー・シャツ」が始まり。
メーカー自体が1950年代ごろからアイビーリーグの大学に通う学生にウケ、
「洒落たおぼっちゃまの定番スタイル」として人気となり、通称「アイビー・ルック」と呼ばれてブームに。
これが60〜70年代にかけて「VAN」や「J-Press」などによって日本に紹介され、
「みゆき族」「アイビー」「アメリカン・トラディショナル」といった言葉と共に普及し、
中でも「ボタン・ダウン・シャツ」は欠かすことのできない代表的アイテムとして広まったのです。
新しい自由の形、若さの象徴とカッコイイを追求するスタイルって内包されるその精神と一緒に。
ので、
だから、
どこをどう調べても「カジュアル」のアイテムであって「フォーマル」では無いと、
つまりは「ラフ」な「遊びの服」だと、
そう説明しているし「知ってる人」からはそう認知されているのですが、
若い、と言っても先の芸人さんも40を超えているのであれですけど、
なんかもう葬儀に着てっても誰もつっこまないぐらいどうでもいい感じなんですか?と逆に聞きたい。
今日から新社会人って人も多いでしょうけど、ビジネススーツに「ボタン・ダウン・シャツ」は今時そう珍しくないにせよ、新入社員のその着用率の高さからしてやっぱり流行ってる?
は、いいけど常識と言えるレベルで「フォーマル」として「アリ」になったんですか?
つい5年程前、会社で人事をされてるお客様が、
「今日、面接にボタン・ダウンのシャツを着て来た子がいたから、君は遊びに来たのか?それとも何かポリシーがあるのか?
と聞いたら意味が分かってなかったよ。と言うかこういう話が分かってくれるバーテンダーがいてくれて嬉しいよ。」
なんてやり取りを個人的に体験しているので執着してしまうのかもしれませんが、
なにかちょっとやるせない。
だいたいバーテンダーもテメーが着てるのは「バーコート」じゃなくて「白ジャケット」じゃねーかとか、
なんで「ショール・カラー」じゃねーんだよ?「ピークド・ラペル」なんて着て、オメーがゲストか?
とか言っても「?」なんだろうからもうあれだ、ちったぁ勉強しろ。
話がそれまして。
「売ってる服、流行りのものを着てるだけだよ。そんなこと言っても上の世代だって意味も分からずこれ着てれば良しってスーツに袖を通してたんじゃないの?」
といった意見もあるでしょうが、そうそれ、そこそこ。
だからこそ怖い。
訳わかんなくても、意味を知らなくても袖を通せば正しい装い、あるべき形が最低限守られるし守られなければいけないのが「フォーマル」。
そこにはその形になった伝統と歴史、意味と中身が継承され反映されている。
しかるに「ボタン・ダウン」には「カジュアル」としての歴史はあっても「フォーマル」としての連続性が無い。
てか私でも知ってるぐらい現役カジュアルの代表格。
しかし現実、これを知ってる人が少なくなったから、あるいは提供する側自体が知らないから、
「こっちのがボタンあってオサレじゃね?ウケるっしょ?売れるっしょ?」という理由だけで手に取らせ、手にしてるってところが、時間をかけ文化にまで発展した「フォーマル」の進化と普及にくらべ、
あまりにも動機と手段が違いすぎて不純すぎてなんかもう・・・。
前にちょこっと書いた「尻出しジャケット」然り。
「好きな服を着てるだけ悪いことしてないわ」が許されるのは「カジュアル」。
自分の装いに責任を持てるのか?正しい形が体現できるのか?ココ、形だけでもちゃんとしなきゃな場面だぞ?結局のところオメー分かってんのかよ?モノ知ってんのかよ?が試されるのが「フォーマル」。
あえてなら何も言わない。
てか逆にカッコイイ。
規則性や連続性、ルールやモラルやマナーを理解し踏まえた上で、他人を納得させるに十分な意味と理由を持って、
己のポリシーを具現化した結果がこれだ!というなら素晴らしい。
しかし多くの場合、「外見だけすら取り繕えない」うえに「あえてそうした意味まで無い」というのが現実では?
「いいじゃん」「面倒くさいじゃん」でダラダラ行けば、行き着く先は意味の消失、思考の停止。
実際に存在する「経緯」を無視して「知ってる」方を邪険にし、「知らない」ヤツが「知らない」ヤツに合わせて世の中転がしていけばどんな世界になるかは、ねぇ・・・。
時代の流れもあるだろうから何でもかんでも保守が正義ではないと思うし、
それが進化と呼べる変化であり、進歩的な発展と普及ならば大歓迎だが、
いったん立ち止まり、振り返り、「これはなにか?」と考えることもなく、
崩して利用して、あるいは利用されて、飽きたら捨てて、また次いってみよーはもう終わりにしないか?なんか革新的なロックを気取っちゃいるが、やってることはテロじゃん?
で、言っとくけどそれってただのパチモノじゃん?て話。
「ボタン・ダウン」最大の特徴は襟先にボタンが付いていること、
なのはあくまで前提の話であって、
「フル・ロール」と呼ばれる膨らみを帯びたカラーの滑らかなカーブこそが職人泣かせの存在意義にしてこのシャツの真骨頂だったりします。
現在の直線的なワイドやショートカラーのペッタンコな襟の先にボタンが付いててネクタイとか、
厳密に言えば、いよいよ「ボタン・ダウン」ですらありません。
例えるなら排気量50ccなうえパンクしてるけどこれハーレーなんだぜ?ってドヤ顔されても・・・って感じ?
さらに、ノーネクタイで着るシャツというのがデフォで、
これに関しては遊びとしてあえてネクタイをするオシャレが日米で流行った経緯もあり、
なんとなくどっちでもって感じで認知され、今ではよほどにシリアスな場面でもない限り、アメリカの大統領ですら「ボタン・ダウン」にネクタイで公式会見にも立ちますが、
一方で「やっぱりアメリカのヤツは分ってないな」と、
世界中の服飾業界のお歴々からは馬鹿にされてるという事実もあったり。
アメリカ発のフォーマルに近い文化なんだい!、てかそうしたい!という目論見と誇りがあるからと
解釈すれば、アメリカだからこそ許されるスタイルなのかもしれませんが、
そんな中、「んな恥ずかしいことできるかよ」とこれをしなかったのは、
アイルランド系の血を引く洒落者で有名だったJFKだけだったとか。
とかなんとか色々言いましたが当店はTシャツに短パンでもOKのラフな店ですのでそのへんお気軽に。
なにせ新内閣発足時には夜なのにモーニング着て記念撮影が慣例の国のBarですので。
って、あれは本当に誰か止めろよ。
繰り返し、年に一度は見てしまう好きな映画が何本かあります。
その内の一つがこれ。
「レクイエム・フォー・ドリーム」
「π」に次いで公開されたダーレン・アロノフスキー監督の作品だけども、
「レスラー」「ブラック・スワン」の人と言ったほうが分かりやすいだろうけども、
この監督については語りたいことが山のようにあり過ぎてもう、なんかもう、逆に言わないよ、言わないさ、言うもんか、くっ・・・。
「見ると死にたくなる映画」という英国のアンケートで堂々一位を獲得した作品と言えば、
およその方向性も分かりやすいかと。
なのでお薦めはしないけど、好きな映画と問われれば、心のランキングにおいて殿堂入りを果たしている決して多くないいくつかの作品達と共に、欠かせない一本であるのは確か。
「じゃあ見てみよう」と律儀に鑑賞されては「教えてもらうんじゃなかった」と後悔される方が多いので、
本当に見たい方は自己責任でお願いします。
本日は、最近また被害者の申告が多いので書いてみた、という経緯。
ちなみにこの作品。
テーマはタイトルの通り「夢」なんですけど、
ボケっと見てると「ドラッグ」の恐怖を描いたジャンキー映画にも映るもんで、
何考えてるんだか、日本でですよ?
アンチドラッグ学習の教材として一部の高校生に体育館で上映して薬物の怖さをウンヌン・・・
なんていうニュースを見たときは、
映画以上に絶望できましたありがとうさようなら。
自分の普通って感覚に疑いもなく素直なヤツほど異常だったりするもので、
人を傷つける者の心が必ずしも握られた拳や刃物のように狂気を帯びているとは限らない。
清らかに澄んだ水でも人は殺せる。