明けました?

  • 2014.01.03 Friday
  • 03:16



年明けから頭の中、


「ケンサク、ケンサクぅ」と女の声が鳴り止まない幻聴に悩まされています。


俺は「ケンジ」だ。


明けましておめでとうございます、サヰキです。


あまりにもだった2013年に追い込まれ、生まれて初めて元日に初詣へ行ってみました。


そして、やはり生まれて初めて「お守り」なる物を買ってみました、


が、


黒字に金と赤のラメ入りとか「あぁ、こういう刺繍の特攻服とかあるよね?」と、


なにかえらくヤンキーっぽい代物なのですがコレはこういうデザインで正解なのでしょうか?


いささか不安ですがともかく強そうではあるので御利益に期待したいと思います。


新年一発目からお客様の引かれた「凶」のおみくじを見せていただいたり、


関西から関東からわざわざお持ちいただいたお土産を頂戴したりと上々のすべり出しは早速の効果と解釈しております。


ありがとうございます。


さて、


毎年のことながら押し付けさせていただいている「数の子」に、


今年は「鴨肉のロースト バーテンダーの気晴らしバルサミコソース添え」とか、


もうすでに正月らしくあることさえ放棄した品を加えた恒例の年明けチャームですが、


数に限りがございますのでその点ご了承くださいませ。


あと、毎度聞かれましてもコレに合う酒なんぞ当店にはございません。


いやむしろ、酒がチャームを、チャームが酒を殺すなかなかの破壊力を秘めた余計な仕事ではありますが、


「だったら出すな」は全くもって正論であると受け止めながら、


「正月だから」の一言だけで今年も乗り切ろうと思っています。


一つよしなに。

七草のリゾット

  • 2014.01.06 Monday
  • 04:13


お腹は空いているけど20分ぐらいなら今年の目標と去年までに犯してきた罪の数でも数えながら待てますよ?


って方はご注文ください。


いちいち期待度の高い方に断っておきますが凝った仕事はしていません。


「あ、起きた?ちょっと待っててね、冷蔵庫の中のモノで適当に作ってるから。ん?リゾット。ちょ?なに?待って、こーらぁ、ダメだって。向こうでいい子してな、もうちょいだから。天気いいね今日。食べたらさ、どっか出かける?え?だって昨日からずっとベットに・・・、いや、違うよ。そりゃ、イヤじゃない・・・けどさ・・・///」


ばーか俺のばーかうわーん


ぐらいの材料とクオリティーです。


2・3日限定。


心が軋む音を聴いたことがあるかい?

  • 2014.01.09 Thursday
  • 04:25

三日もまともに喋ることなく萎れた七草を独りで平らげたら涙が止まらない。

張り切って特別を用意すると特別な仕打ちが帰ってくる、のはいつものこと。

読んだとて発狂することのない日記

  • 2014.01.10 Friday
  • 00:38

 

孤独はいけない。


他者という不自由が無ければ見境もなく肥大した自我はやがてその輪郭も朧に溶けて淡く霞み、


終いには孤さえも見失ってしまうから。


際限なき自由は狂気を形成する。


チャカポコチャカポコ


いやさそもそも自由などという言葉は福沢諭吉の広めた創作であって、


日本人のだいたいがこの概念を正しく理解できていないのだ。


何かを書こうと半ば自動書記のように綴った文章の出だしがこれではそれこそよろしくないなと気付いたが、


他に思いつくことと言えばガンジーでもためらわずクロスカウンターを叩き込んで来そうな言葉の暴力か身の毛もよだつ下ネタぐらいなので、


それらを衆目に晒さぬようにと判断できただけでもまだ、良識の全ては失っていないと喜ぶべきであろうか。


私のドグラがマグラしちゃう前にそうだどうだろう、もはやすでに懐かしい年明け早々の楽しかった日々を思い返せば、


面子を増やして再び訪れてくれた仲間達の私に対する評価というものが印象的で、


彼女らに言わせれば私は変わっていないそうだ。


はじめましてからかれこれ四半世紀も経とうかというのに。


だがしかしそれもそうなのだろうと納得もしている。


なにしろ今でも周囲から同じことを言われ続けているのだからさして驚きは感じられない。


変わらないのではなく変えられないと諦めて良いものか、


しばし考えてはみたが、


凍えそうな季節に何をどーこー言っても仕方なくそんなんどーだっていいから冬のせいにして「パシフィックリム」を借りて見て以来、


菊地凛子が気になって仕方がない。


あの髪型とタンクトップは卑怯だ。


卑怯なのだ、あの髪型とタンクトップは。


私を試しているとしか思えない。


いやむしろ私を試しているのであろう。


菊地凛子とか言う女、


これしきのことで私を虜にできたと、そう考えているのなら全くその通りなのだから大した役者だ。


落ちてしまったことには自覚がなく後になって気付いた時にはもう遅いのが本当の恋であるとするセオリーから言えば、


フリーホールなみに落とされている自覚しかなかった今回のケースの場合は、


あるべき恋の思考とはまた違った衝動によって形成された感情なのかもしれないが、


とりあえず今日、返却期限のDVDを返しに行って、


そして今日、返却したそのDVDをあの頃の大塚愛を彷彿とさせる勢いで「もう一回」と発しながら借りて帰ろうと思う。


もうあれだ、私が借りるのはDVDでも無ければパシフィックリムでもなく菊地凛子であると言っても過言ではないだろう。


私は孤独ではない。


鞄の中には菊地凛子が居るのだから。


それにしてもだ、タンクトップだけでも十二分な破壊力ではあるが、


あれで中にスポーツブラ的なモノまで着けていると想像すると居ても立ってもいられないではないか。


「いや、バベルでね」とかそういう野暮はお断りだ。


それは違う。


違うのですよ。


などと気持ちの悪いことを言っている自覚はあるので私はまだ正気であるつもりでいたい。


……ブウウウ…………ンン…………ンンン…………。

シナプスも悴む夜に

  • 2014.01.15 Wednesday
  • 03:16

 

今年もやはり冬は寒い。


あらためてこの星が律儀にも傾いたまま回転してくれているという、


とてもマクロで実感は湧かないが抗いようのない現実の上に我々の生が存在することを知らしめてくれる。


寒い、という現象にいつも捕らわれる。


気温が低いという事はそれだけ、分子だの原子のレベルで空気の粒がその活動を鎮めた静かな状態にあるわけだ。


目視による確証が無くとも、それとなく感じる冬のあの凛とした雰囲気は、


ひょっとすると在るべきものが正しくそこに在る安定した状態の、


大袈裟に言うならば整頓された世界に身を置いていることに起因するのかもしれない。


外気温にシンクロして冷え切った指先もまた、細胞レベルで静かに安定した状態であるならば、


指先と言わず、冬場の私は表層上、私本来の形状を最も的確に表現したフォルムをして整頓された状態で、


となると夏場に表面温度の上昇した私は無駄に細胞が不安定な状態のとっちらかった姿であるのだろうか?


冬の寒さにより本来の姿を表し、夏の暑さの中では偽りの姿とは・・・・あ。


お察しの通りとんでもない下ネタしか思いついていないので自粛したい。


寝ていたい。


眠たいわけではないがただ寝ていたい。


温かい布団の中で無闇にまどろみひたすらにこの寒さから逃避を続けていたい。


そういうところは普通にだらしないままなのだが、


それでも相変わらず一日で最も寒い時間に感情を無視して強制的に流される涙を拭いながら自転車を一時間もこぎ続けていると、


あらためて私は一体何と戦っているのだろうかとふと想う、


のもまた寒さゆえなのか。


冷静なる言葉の意味と創造にただただ感心する。

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