ギブソン
- 2016.12.06 Tuesday
- 03:01
長身で細身だがコルセットによって強調されたバストとヒップが実にグラマラスでありながら、
決していやらしく感じさせないのはくびれた腰を中心に描かれたしなやかなS字カーブが相まって表れる全身のシルエットの、シャープで魅力的な曲線からなる優美さのおかげだろう。
切ないほどに美しいと形容される端正な顔立ちは気品に満ちていながら、しかしどこかにもの悲しさをも感じさせる風情は、これぞまさに儚き美の具現化としてその容姿が絶賛されたのみならず、
作中、彼女は自由と自立を持って生きる心強き人でもあり、
それは男を虜にし、女をも魅了する、およそ内面的にも非の打ち所がない存在ならば、
それまでの理想の美女像を一変させ、新しいアメリカの夢であり象徴とまで謳われた。
十九世紀末から二十世紀初頭にかけての話しである。
イラストレーター、チャールズ・ダナ・ギブソンによって描かれたこの女性画を通称「ギブソン・ガール」と呼ぶ。
彼女か、はたまたその生みの親である彼を由来としたカクテルがある。
「ギブソン」
巷のバーテンダーに尋ねてみるといい。
「それはどんなカクテルか?」
大半はこう答えるだろう。
「ドライ・マティーニのオマケのオリーブがオニオンに変わっただけですよ」と。
さて、
今さらながらにカクテルについても織り交ぜながらを、少し、語ろう。
カクテルとは何なのか?
いずれにせよこれを作る際に手本とするのが、今時であればネットで検索ということも多いのだろうが、
普通に昔ながらで言えばカクテルブックを開くなどして、
ともあれレシピを参考にするのが常だろう。
そもそもこのレシピを鵜呑みにしがちな思考回路の危険性については今回触れないが、
それならなるほど、「ギブソン」と「ドライ・マティーニ」の違いはガーニッシュだけ、ということになる。
しかしながらにあらためまして、
カクテルとはすなわち、「いつか」「どこか」で「誰か」が作り、名付けられたグラスが今に伝わったことを言うのなら、
レシピなどはその材料のみを記載した、おそろくしく断片的な、ほんの一部の情報に過ぎない。
内包された歴史と物語、ここに至るまでの全てを無視して、それで一体なにを再現、いやさ表現できるというのか?
とは言いつつ、
ならば過去を調べ、少しばかりのお勉強さえすればよろしいのですか?と聞かれると、それはむしろ厄介な話しにもなりかねないからややこしい。
具体的に、この「ギブソン」に関していえば、有力とされているルーツが二つある。
一つは、マティーニにオリーブではなくオニオンを添えるのが好きだったチャールズ氏のレシピを起源とするもので、その最初期の配分はジンとベルモットが半々であったとするもの。
もう一つは、実は酒が苦手だったチャールズ氏がただの水にオニオンを沈め、あたかもカクテルを飲んでいるかのようにしていた、という説。
努力と無縁の怠け者にさえも「ギブソン」といえばただの「マティーニ」よりは辛口に仕上げるべきカクテルである、と知られているにも関わらず、
なぜか不思議と突き詰めるほどに、それが以前はそうでもなかったどころかもはや酒ですらなかったとするならば、
むしろ、逆に、実は、と得意気になりたい連中には格好のネタではあるのだろうが、
果たしてそれで良いのだろうか?
ここがBarで、私がバーテンダーであるからには、存分に恥ずかしいながらも勇気を持ってこう言いたい。
夢もロマンの欠片も無いならば、そんなカクテルに意味はない。
ましてや、である。
とびきりの美女。
強くたくましくも儚く切ない愁いを帯びた。
そんなうってつけの、これでもかと言わんばかりのイメージソースがありながら、
「実は彼女は・・・」などと言えるヤツはバーテンダー以前に男じゃない。
「飾るパールオニオンは彼女の細い首筋を飾る真珠に見立てた・・・」ぐらいのことを言わないまでも思い付かなくてなにがバーテンダーか?
そしてそう、中身のほどは洗練された美貌もさることながら精神の不浄さえもを成すならば、クールで、シャープな、
その店のカウンターを飾るいかなるグラスよりも洗練された存在であらねばならぬなら、
汚れ無き、
凛とした、
あえてこの言葉で言おう、
最も「ドライ」な仕上がりでなくてはならないのだ。
それが私の「ギブソン」だ。
それが私の「ドライ」だ。
バーテンダーたる私が最も「素敵」であろうと、
野暮を削り無粋を嫌い、粋を拾って選択した、このカクテルのあるべき姿だ。
今一度言おう。
カクテルとは「いつか」「どこか」で「誰か」が作った一杯のことである。
カクテルブックを開きレシピを見れば、そのカクテルを作ることは可能だ。
ほんの少し過去を探れば原型も見えてくるだろう。
だからなんだ?
それで出来るのはせいぜい良くて「再現」だ。
紡がれた歴史を受け継ぎ、今と、そして先に伝えるべきの取捨選択を委ねられて、
それはもちろん独り善がりの介錯だの自己満足の改変などは論外として、
責任と誇りを持って「表現」するべきを己で決めた揺ぎ無いグラスを提示する、
それこそがバーテンダーの仕事なのではなかろうか?
現状で行き着いた今の私の答え、
「マティーニ」は「マティーニ」として「ドライ・マティーニ」なるものはご用意できず、ならば「ギブソン」を推奨する、
といったカタチが必ずしも正解ではないと、
えぇ、わかっています。
けれども不完全で曖昧なグラスを出すよりはよっぽどマシならば、
手持ちのカードの厳選に日々を費やしているからこそ、
その場しのぎの適当なカードはキリたくはないのです。
さぁ、それでどうするか?
「マティーニ」のベルモットを減らして「ドライ」とするのも自由。
これと大差ない一杯を「ギブソン」と名乗るのも自由。
相変わらずの何をどうするも自由なこの世界で君は何を選択するのか?
ってね、
偉そうなこと言ってみた。
偉そうなことを言ってみたよ?
ちなみに、
余談ではありますが「ギブソン」に使う「パール・オニオン」は、
これを用意していないがゆえにそもそも「ギブソン」が作れない(なにしろギブソン以外に出番のない副材料なので)店が珍しくもないですが(いや、そこがBarなら無いのはウソだろ?が本音だとして)、
実体験からして、たとえ冷蔵庫の中、用意があったとしてもの話しです、
Barで賞味期限が切れているにも関わらず気付かずに使われちゃってるアイテムランキング不動の一位って代物ですので、
お客様にあられましては十分に(なにを?)気を付けて(どうやって?)くださいませ。