私には、バーテンダーとしての私の根幹を成すお店、
それは尊敬や敬愛を越え、もはや崇拝に近しい想いをして焦がれ続けていたBarが二軒あります。
一軒は残念ながら今は亡きご店主と共にお店も閉店されてしまいましたが、
残るもう一軒に、
しかして多少事情が複雑で、正確を言えばかつて私がお伺いしたことのある店とは別ながら、系譜としては直系に位置する店舗に、
今回の東京旅行にて立ち寄らせていただいたのです。
四の五のをさて置き結論から言えば最悪でした。
物腰は柔らかいながらも上から目線の高慢な態度、言葉の端々に滲み出る侮蔑の文言、
気が付けば延々と自慢話を聞かされるだけという、ただひたすらに忍耐を強いられる苦痛な時間。
初めて来店した連れ合いは「ここが本当に言ってた店?申し訳ないけど気分が悪いから出ようよ?」と耳打ちしてくる始末。
何があったのか?
どうしたというのか?
それとて主観からなる自己弁護と言われれば否定はできないものの、客観的に一客としてこちらに失礼は無かったはず、なのですが。
こんなことがこの店で起きてはならないはずの出来事しか起きない驚愕のフルコースに見舞われ、
半ば放心状態で店を後にする際、
それでも今日は客の立場の私なら、飲み手としてのスマートを貫き礼を欠くことの無きよう敬意を払うべく、上着を手に扉で振り返り会釈と共に「ごちそうさまでした」と発するも、
二人いたスタッフは二人ともに背中を向けたままという最後。
店を出て、一つ角を曲がり、そこでそれからしばし動けませんでした。
例えではなく、
動けませんでした。
この店は、相手をしてくれていたバーテンダーさんもドヤ顔で説明してくださいました通り、
都内でも屈指の品揃えを誇るレアなボトル、
なんぞはオマケみたいなもので、
口先だけで実の無いパフォーマンスならばいくらでも転がっている「サービス」を、「ホスピタリティ」を、
現に、真に、努力と労力を費やして実践されている稀有な存在であり、
これを支えるひたむきさ、実直さ、真摯さ、その精神、に私は惚れこんでいた、
はずなのに、
と、
思い返せばの話しです。
正確に数えて、私はこの店にこの度で通算7度目の来店だったのですが、
そう、
思い返せばなのです。
私は一度もマスターにお会いしたことがありません。
それ自体は珍しくもないことです。
当店にも多くいらっしゃいますが、全国レベルでのBar巡りをされるような方にはお馴染みのあるある話でしょう。
有名店・一流店と謳われるBarのマスターほど実際には店に来ないから居ないから会えない。
まさか休むなとは言いませんし、たまたまであれば致し方ございません。
今日は休みを頂いております、買い付けに行っています、所用で出ております、色々あるのは良いのです。
まぁ居ない。
普通に居ない。
居ないのが普通でむしろ居たらラッキー、ということがしばしば。
バーテンダーたるやカウンターの中にあってお客様と対峙して初めてバーテンダーであり、
これを置いても大事とすることなど他にあろうわけが無い、
はず、
なのですが、バーテンダーが名を売るならばバーテンダーをしていては話にならず、
勉強会・親睦会・大会・講演・ウンヌンカンヌンと、良く言えば業界の行く末を見据えたマクロな視点での立ち回り。
その実、躍起になって勤しむのは、もはやバーテンダーの業務など関係ないロビー活動と馴れ合いの会合、はたまた接待。
各方面に奔走しパイプ作りに心血を注ぐ様は、
政治家が次の選挙でも勝つためには政治なんぞに現を抜かしていては話にならない、という構図と一緒。
カウンターを捨て置き、壇上で華やかなスポットライトを浴びながら客ではなく審査員のため、いやさ自分のためにシェーカーを振り、後の交流会にてポケットを名刺で膨らませてはほくそ笑むようなバーテンダーか、あるいはそれを仕切り、評価する立場、地位を目指す姿勢に、
それがはたしてバーテンダーか?と疑問はあるものの相容れないのは価値観の相違として否定はしませんが、
そういう輩に限って「一番は?」と問われると「お客様」と。
「一期一会」だ「おもてなし」だ「人」だ「気持ち」だ「心」だなどとのたまいがちなところにだけは一言申し上げたい。
嘘をつくなよ、と。
聖人でもない私は正義を気取って言うのではありません。
つまんねーんだよ、嘘は。
おもしろくない。
楽しくない。
せめて居ろよ?
店に出ろよ?
正論ではあっても子供じみた理想だろうが、大人には色々あるんだろうが、そんなの関係ないんじゃない?
そこが唯一無二でただ一点、大切なんじゃない?
最悪居ろよ?最低出ろよ?よりも、それを当然のごとく普通に店を空けときながらも開けられる神経がまず分からない。
お陰様で全国から足を運んでいただけるようになったのならばなおの事。
単純明快、至極当然、
客が一番と言うからにはカウンターに立てよ?
名を売って、名で釣って、普通でないことを得意とアピールしたからにはすでに普通の店ではないからこそ遠方からも遥々来店していただけるのならば、他の誰かでは駄目な環境を自ら作りあげておいて居ないとは何事か?
それはもう、ただただ嘘ではないですか?
足を向かわせた時点ですでに一度期待させてからのこの結果は嘘である以上に裏切りならばなおタチが悪い。
そう考えれば、そもそもが、大体が、
7度も来店して謁見すら叶わなかった店主など、それだけで嘘しかないのに、
何を期待していたのか?
何を信じていたのか?
しかし、
しかし、あの店は違うのです。
持ち前のミラクルが発動し、海物語で3000回転ハマリをしてしまうような確率で偶然たまさかマスターにはお会いできませんでしたが、
流石はマスターの店のスタッフ。
もてなしのなんたるかを修めるべくお稽古ごとにも精進し、まさに接客の鑑とも言うべきを体現成されている様は、
スタッフをしてこれです。
マスターたるやさぞ、
と、
勝手に妄想していた私が馬鹿でした。
それもこれも、これまでは、の話し。
今回のような事があっては、
あんな仕打ちを受けては、
もう無理なのです。
あの頃の私でもないですから。
今だ未熟です。
おこがましいのは百も承知です。
しかしながら、紛いなりにもバーテンダーとして、それはあくまで自称とはいえ、これを生業に二十年以上を過ごしてきたからには、
私にも私なりの尺度と分別が身についています。
「かの」だの「あの」だの「伝説」だのといった肩書だけで舞い上がり陶酔できるほどに素直でも無く、
観て、計り、実際に実際を感じて考えて評価を下せる程度には知識と経験もございます。
格式や程度の問題ではなく、
貴店には誠がございませんでした。
貴店には嘘しかございませんでした。
そして何よりやはりそう、
終ぞ貴店に貴方は居なかった。
これが全てです。
後に寄った別の店で聞いた話です。
長年かの店でセカンドとして、私にとっては結果的にマスターよりも実際の店の顔としてカウンターを守っておられた方は、数年前に亡くなられたそうで、
同じくして肩を並べて仕事をされていた方々も、今は独立されて、
となると偶然あの頃は人材にも恵まれ、おかげで私もすっかり騙されていた、とは申しません、
大変に楽しい夢を見させていただきました、
それは本当にありがとうございました。
そう、
夢を見て、夢だけを見つめて、ずっと夢を見続けていたかったのだな、
と今なら分かるのもまた、
夢から覚めたからなのでしょう、きっと。
Barに居るからバーテンダー。
Barに居てこそバーテンダー。
この馬鹿みたいな当たり前を、私は今後も大事としていきたいと思います。