一つずつこなす。
- 2018.10.03 Wednesday
- 17:33
今、やったことがありそうでなかった渋谷ハチ公前での待ち合わせに挑戦しているが、割にいけるものだな、と感心しています。
具体的なご報告があるわけではございませんが、まぁまぁ事は順調に進んでおります。
リアルなところ、現状で私が特に成すべきは少ないので、仕事用にと用意されたnewパソコンを自宅に持ち込み、
私物PCと並べては「わーいデキル人っぽくね?ハッカーみたーい」などとはしゃぎつつ、
漠然と開店準備、としか説明しようもない、しかして割りにとっ散らかった作業になりがちなのはつまり言うてもオモチャが増えたようなものならば寄り道が多くなりがちで困っちゃーう、な日々を淡々と過ごしております。
料理を、まるでゲームのようにして捉える節が私には、ある。
未開のタイトルに手を出してはプレイし、工夫して攻略してエンディングを迎え、そうしてコレクションに加えてゆく。
ここで言うエンディングとはすなわち、完全なる自己採点に基づいた判断であるならば、それは確かに私次第という勝手な着地ではあるのだが、
しかし、
今回は相手が悪かった。
そう、
「ピクルス」である。
そもそも私は野菜なるキャラクターにさほど思い入れが無い。
酢の物というジャンルにも関心がない、どころか苦手である。
ならばどうしてわざわざ手を出したのかは我ながらに甚だ疑問ではあるが、
始めてしまったからには仕方がない。
ともかくも世に転がるレシピを片っ端からかき集め捜し物を探しに行くまでもなく足して割って最大公約数を導き出し、これでおおよそ「ピクルス」としては恥ずかしくないであろう代物、客観的には「ピクルス」以外の何物でもないはずの一品を作り上げるも、
いかんせん当の本人が納得できないのは、もちろん出来上がったのがご立派な酢の物様なればこそ美味しいとは思えないからだ。
ならばどうしようそうだこうしよう。
それはもはや「ピクルス」とは言えないのかもしれないが、私が食べて私が美味しい私のための「ピクルス」をエンディングと定めてプレイしてみようではないか、
と、
思った私がバカでした。
それから一ヶ月。
1ターンに三日を有するを逆算すればスリー・マン・セルでローテーを組み、毎日のようにピクっては、毎食のようにピクる日々。
ピさんだ生活はピ狂った、それはまさにピクルスまみれのピクルス地獄。
あぁ、ピクルスの輪から抜け出せなくていくつもの罪を繰り返しそうだった今日この頃、
ひょっとすると妥協なのかもしれない。
トゥルーエンディングとは言い難いのかもしれない。
が、
ようやくにしてこれならばと思えるレシピに辿り着いた暁には、
もう止めよう。
争いは何も生まない。
憎しみの心で戦ってもヤツには勝てない。
復讐は新たな復讐を呼ぶだけだ。
そんな大事なことを教えてくれた「ピクルス」に、今はただ「ありがとう」。
「ピクルス」。
その意味はラテン語で「平和」を意味し、英語のピース(Peace)の由来となっている。
もちろんウソである。
広島から遊びに来たバーテンダーくんと一緒してメーカーさんの試飲ルームに来たよ。
昼間っから飲んだくれてうへへ。
いえいえこれも仕事ですからうへへ。
娘さんに頼まれたお土産を購入するとかでドコに逃げても甘い匂いしかしないでお馴染みの竹下通りに付き合って、しかもオッサン二人でスクイーズ屋なんていう中々の地獄を味わっています。